写真家森山大道

JaM

2008年05月31日 00:11

残さずにいられない風景が、町のあちこちにあふれている、、
人間はつくづく、光と影の間をさまよう生き物であり、
その両方の世界でそれぞれに適応した性格を持つものなのだ、と
森山大道(もりやまだいどう)の写真から、日常の多面性を勝手に読み取ってきた



いま、森山大道の写真展東京都写真美術館
やっている・・

恵比寿ガーデンプレイス内の一角の美術館だ
一度入ったことがあるが、
美術館としては普通、、かな(^^;;;

モリヤマダイドウの写真はどれを見てもダイドウだ・・、
ごくありきたりな日常から、光と人間をえぐりとるように切り取ってくる、
フィルム現像や焼付けのテクニックは真似できても
感性にはとうてい及ばない、

ドキュメントを目指す写真学生などにとって、
彼は「はしか」のようなもので、一度は彼のスタイルを真似てみるのだが
しばらくすれば熱も冷めてしまう・・

特別な存在なんだと、
そのとき初めて認識する学生も少なくないだろう

もう森山氏も69歳か・・
歳を取った、
しかし、本物の写真家の目には年齢など無いことを
実感させてくれる、
いや、ますますシャープかもしれない・・

きょうも、フィルムを抱えて町を歩いてるんだろうな



産経ニュースのインタビュー記事があったこう語っている
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 「確かに、好みの場所だけでは東京を撮ったことにならない。新宿にしても、西口のビル街の向こうも撮らなきゃいけないね。都庁なんか、実に不思議なイメージ。逆にそっちの方が歌舞伎町よりいかがわしいかも」

 毎日のようにジーンズのポケットに「リコーGR21」を入れて、街にもぐり込む。「1日フィルム15~20本は撮る。若いころは100メートル歩くごとに1本なくなったけどね、お金もないのにさ」。小手先の美学や観念より、写真は量だと信じる。と同時に、表現やテーマや感情を排し、外界をコピーするように撮りたい、とも言ってきた。

 「永遠の無いものねだりだね。私性を排除したいのに、撮るのは私。どうしたって僕個人の心情が絡む。でも、それに則してしまうのは嫌なんだ」

 結局、写真家とはあらゆるものを見たい、記録したいという欲望の塊。「残念ながらひとりの人間の視界は限られる。にもかかわらず、見たい。そんな焦燥に駆られて街へ出るのでしょうね」
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