汚れなき悪戯、大聖堂の新婚落書き
イタリア、フィレンツェの世界遺産地区内の大聖堂であった、
落書き事件が大きく報道された、
馬鹿なことをしたもんだと思う、
まあ、時と場合、場所にもよるんだろうけど、
日本ではおおむね、
落書きは「恥ずかしいこと」に違いない、
例えば、ゴッホやピカソ、モネの名画に勝手にハートマークを入れる馬鹿はいない、
もちろん、書いてみたい衝動はあったとしても、
「描いちゃいけない」くらいは意識するだろう、、
どうもこれが、相手が自然や建築物だったりすると、
なんか「やっちまえ!」みたいなことになる、、
これが、
沖縄県内の防波堤のように、
自由に描いても良い場所を町や地域で決めてあって
そこに自由に自己表現の試みがあるのは、
鑑賞する側としても、、、楽しいと、、思わなくもない、
もちろんそんなものは、
描かれているものが鑑賞に値するかどうかが論点で、
ろくでもないものは消してくれなくちゃいけない、
といって、そうした落書きの価値を決めるということは
誰にもできはしない、、
自由に描けと言われたんだから、
何を描こうが勝手なのだ
有名な画家が、どこかの聖堂の屋根裏に落書きを残したら
やっぱ、それは作品なんだろうか、、
BanksyならOKで・・、
高校野球部監督じゃやっぱりだめだったか・・(^^;;
これって、観る側の
「快・不快」についても問われてるんだよね、、
だから、国民性の違いがあって、
おおらかな感覚とセンスのあるイタリアでは、
「まあ、いいじゃない、
だって名前を描きいれることで幸せになれるってんでしょ、
なのに一度の過ちで、仕事を失って不幸になるなんて、
なんて日本て国は寛容じゃないの?」
・・なんてね、、
左の頬をぶたれたら、右の頬を差し出す、ヤソ様の国らしい考えなのかな・・
でも、大聖堂だったからってことでもないけど、
やっぱ「汚れなき悪戯」なんてことで片付けたくはない、、
他国の文化や歴史に対して、無礼だし無知だ、
報道されて、ご近所さんにゃ名前も分かっちゃっただろうし
充分、社会的な制裁は受けただろうし反省もしただろうけど、
日本はどこか武士道の国なんだよね、
だから、
腹切らなきゃいけないってこともある、
ま、そういうことだ、、
自業自得だったね、
「汚れなき悪戯」・・
スペインの名作映画だから、誰もが知ってるタイトル、でもないか?
昔の映画(1955年)だから、観たことがある人は少ないのかな、
でも、映画音楽は、ナルシソ・イエペスのギターで有名だから、
きっと聞き覚えはあるだろう、
クラシックギター始めると、だいたい最初はこの曲だ、
この映画で、マルセリーノがイエス様に
お母さんに会いたいってお願いしたら、
最後、天に召されちゃったって話なんだけど、、
小さい頃はそれが怖かったし、どうも腑に落ちなかった、、
どっかで生きてる母親に会わせてやれないのかな?
って思ったね、、
あれで修道院は助かったかもしれないけど
イエス様も、命の重さをもう少し考えて欲しかった、、
まあ、そりゃ映画の中の話だ・・(^^;;;
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