日の丸、君が代
芸術としての「日の丸」「君が代」・・
「国旗・国歌法」の制定に関して、かつての侵略戦争への総動員と無理やり(じゃないとは言うだろうが・・)関連付ける一部の人たちがいる、、、でもまあ、それはありえないだろ~(^^;;;
これだけ平和ボケして、学校でも特別、国歌や国旗の意味を教えるわけでもなく、、教えたところで聞く側は「へぇ~~」を5つ6つ鳴らして、その場限りで終わってしまうに違いないからだ・・
思想の自由はどんな立場の人にも平等だから、何を言おうが、何を何と結び付けようと自由だが、「こじつけ」ってのにはどうも抵抗がある、、無理しちゃいけない・・。
洗脳洗脳というなら、方法によっては、
逆に、日本の侵略戦争の象徴として語り継ぐことも出来る、
「日の丸」を掲げつつ、多くの国に対して反省の念を抱きなさい、だとか
「君が代」を歌いつつ、今や神の国ではなく世界に貢献できる日本となりました、と
平和の逆説的象徴として教えることは可能だろう・・
もちろん強制するのもされるものでもないので、、
勝手に騒いで好きにしてくれといったところだ、、
抑圧し、否定し、闇に押し込もうとすればするほど、、
隠れキリシタンのごとく、ネオナチのごとく、
暗闇で確実に生き残っていくだろうことは、
(その他のもろもろの)歴史において自明・・
もちろん、諸外国、特に米国とアジアにおいては、侵略戦争の歴史の象徴としての天皇「君が代」、日章旗である「日の丸」に対して、過去を思い起こし、悲しみと怒りを覚える方々がいることは忘れてならない、、沖縄県民ですらそうだ、、
小生などは、国旗の無い国、国歌の無い国はいやだし、オリンピックで日の丸が上がり、君が代が流れると、、日本という国を誇らしく思いさえする。
「日の丸」について「日章旗」をイメージさせるというなら、
それは、イメージしなければ良いだけのことだろう、
赤く美しい太陽だけイメージする方が、よほど健康的だ、、
物事というのは教え方で変わる、、
だからこそ日教組もうるさいのも分かるが、
歴史は歴史として客観的事実として教えればいい、
日の丸は、白と赤の単純2色の国旗・・
赤の円は、黄金率ともいえるサイズでバランスよく、
無垢の白地に美しく映える、、
シンプルだが、そこから湧き上がる想いは多様で実に豊かだ
またこの「日の丸」という呼称が単純明快でいいではないか(^^)
君が代は、世界でも稀なる11小節完結の楽曲、
12小節と勘違いしている人が多く、我が中学の音楽教師も
気がついている様子は無かった・・
「苔のむすまで・・」のあと、1章節分の空白を残しているかのようだが、
実はそうでなく、
そこにあるのは「永遠」という余韻だ、
日の丸、君が代、、
侘び寂(わびさび)の国、日本をこれほど表現した芸術作品は他にない
これに変わる国旗国歌など、
誰にも作りようがない、
作れるとすればよほどの才能に違いない
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