消える銀天街
銀天街・・
小さい頃、「銀座」と混同していて、
銀天街から買い物などして帰ると
「銀座で買い物してきた」と言っていたらしい・・(^^;;
言うまでもないが、、
銀天街は、ただの屋根付の商店街のことで、、
割とどこの街にでもある、、
いや、あった・・
歴史的には浅く、せいぜい40~50年の間に全国的に広がりを見せ、
これまた歴史の浅い郊外型ショッピングモールに顧客を奪われ、
いま、全国的に共通して衰退してきている、、
先日、、コザの銀天街の取り壊しに遭遇した、、
そしてゴヤの銀天街も取り壊す(撤去)ことになったということを聞いた・・
主たる理由は屋根や骨組みの老朽化と、
電灯代など維持管理負担金などらしいのだが、
ひとつの時代が終わり、街が役割を終えた・・
・・という言い方にはひどく抵抗があり、
街ぐるみで「空気を読もうとしなかった」結果・・
・・という評のほうに妙にうなづいてしまう、
平日休日問わず、シャッターの閉まった通りを歩くと、
寂しさと言うよりも「街の臭いや気配がない」ことに気がつく、
これも全国共通なのだろうが、
コザ同様に、屋根の老朽化などが進んで、
金属の腐り始める臭いなどする銀天街も多いことだろう
最初から天井屋根など無ければ
「通り」として生き延びたかもしれない街が
天井屋根でひとつにまとまったことで
共倒れするような景色は見たくなかった・・
がしかし、逆を言えば、、
天井屋根を取り除くことで、
商店のひとつひとつがお天道様の下で活気付くかもしれない、、
いまは、そちらに期待したいところだ、
前にも書いたと思うが・・
むかし銀天街を銀座と思い込んでいた頃、、
実家から徒歩で10分ほどの銀天街の出口近くにあった
「たいこまん」のお店の前に座り込んで、
あとから来るはずの母を待った記憶がある、、
しばらくして諦めて帰ったが、
そのあと、店主が母を呼び止めて
きっと「お子さんが店の前で待っていたよ」とでも伝えたのだろう・・
母が「たいこまん」を買って帰ってきてくれた
ご近所の誰もが、自分の子だけじゃなく
人の子供の行動や様子まで、ちゃんと見てくれていた、
いい時代だったのかもしれない、、
「たいこまん」。。
美味かったな~
大阪や東京など、地方の田舎街に行くと、
「たいこまん(太鼓まん)」のニセモノが
大判焼、ひぎり焼、太閤饅頭、などの名前で売られている、
抹茶やカスタードクリームなど入ったニセモノは最悪だ(笑
やはり「たいこまん」は近所の銀天街入口の店のものに限る、
あんはあずきでなきゃな!
しかし、あの銀天街もとうに寂れてしまった、
もう、あの店も無い、
夏目漱石も一つ買って食ったかもしれない店だ・・
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