写真家の
所幸則氏などのことを
たまに書いているが、
いま友人宅に「写真家」ではなく、物書き「作家」の卵がいる、、
中学1年生だ、、
「卵」という言い方は、孵化する前の
「作家になる夢を持っている」程度のレベルを連想させるが、
彼はすでに恐ろしい速さで小説を書いているという、、
彼の両親ともに、両方の家系ともに
遺伝的にはそうした才能はないのにな~と首を傾げているが
芸術家、作家というやつは
もちろん育った内的環境に起因して発生することは多いが、
瞬発的な外部発生要因によることも多い、
この両親の凄いところは、
その作家の卵に「あーしろこーしろ」と、無用のアドバイスをせず、
「ただ見守る」度量のあることだ、
いま彼はとにかく「書きまくる」ことだなんだと思う、
宮崎アニメ、映画「トトロ」の中で、
主人公の二人の娘の両親で、考古学の研究者である父親と
長く病気で入院生活をしている母親の二人が登場するが、
この両親はともに「子供たちにしか見えないもの」を
けして否定することをしない、
それどころか「お化け屋敷」を大いに歓迎していた、
子育ては、家庭でも、学校でも、塾でも、習い事でも、
どこでも「関わり方」だなと思う、、
知らず知らずのうちに「子供の芽」や「才能」を摘んでしまい、
家族や地域や世間にとって都合の良い「型枠」や「世界観」を
押し付けてしまってはいないかと思う、、
もちろん、社会からあまりに離れた感覚ではいけないが、
自然な心で見えるもの感じるものを大切にしてあげたいと思う
所幸則氏のこの頃の写真『渋谷1sec(ワンセコンド)瞬間と永遠』と、これまでの彼のファンタジー作品を見比べていて、作風の違いよりも作風の共通点に興味を覚えるようになってきた、、
それは
1secシリーズのファッションにも同様に現れていることだが
いま写真界注目の
『渋谷1sec(ワンセコンド)瞬間と永遠』には、
実は「もうひとつの渋谷」が映っているのだ、
次元を分けて考えるほど物理的な次元差に詳しいわけではないが、
簡単に言えば、誰にも見える渋谷と、所幸則氏と彼に共感するものだけに見える渋谷、
そういったものが間違いなく空気感として伝わってくる、
そして彼のファンタジー作品や
ポートレイトに登場する人物達からも、
例えば「もうひとりの坂本龍一」が映っていたり、
「もうひとりの浅田真央」が映っていたりするのだ、
しかしまあ、作品となれば、どちらのポートレイトが好き・・
だとか、どちらがより本物らしいだとか、そうした評価は
それぞれ見る人個々人の趣味であっていいと思う、、
そして、撮られた側にも、違和感があったとしても、それはそれでいいと思う
この数ヶ月、彼、所幸則氏の進化を何か不思議な縁で見届けている、
実に興味深く、面白い、、
別の次元や別の空間、別の意識や、
別の自分に気がつくことは
実は人生にとって楽しい作業だ、、
所氏の作品群には、そうした気付きをもらったと思っている
さあ、友人宅の中学一年生作家の方は・・どうなっていくだろう、、
あっ、でも、、中学生といっても
作家としての「年齢」なんて、そんな重要な意味はないんだよね、、
彼にはいま「物書きの神様」が降りてきてるんだろうなぁ~~、
字は綺麗な方がいいし、漢字も書けたほうがいいが、
それもいまは関係ないんだろうな、、それでいいと思う