屋良文雄さんのこと
屋良文雄さんが亡くなられた
彼のジャズクラブ「寓話」の近所に住みながら、一度も店に足を踏み入れることはなかった
国内で最も好きなジャズピアニストの一人で
数え切れないセッションのほかに、多くの楽曲を残された、
今の時代、テクニックこそ超絶のピアニストは多いが
ヤラさんの音は、とにかく素敵な音だった、
小生が最初に聞いた屋良文雄のピアノは、
FMのジャズ番組から流れていた曲で、
記憶が正しければおそらく日本のジャズ評論家のことをイメージして書いた曲だったと思う
それ以来、FM番組表でヤラフミオの名前は要チェックだった、
ラジオからの音をカセットレコーダーに吹き込んでいた時代、
その後ギターにはまることがなかったら、
ヤラさんのテープは今もどこかに残っていたはずだ、、残念、、
当時、ジャズピアノといえばオスカーピーターソンにどっぷりはまっていたが、
兄が持っていたピアノ譜を見て、根本的に手の大きさの違いに気がついて
こんなものが弾けるわけないじゃんかと早々に断念したが、
ヤラさんの弾き方なら真似できそうだと思っていた、
結局、あんなかっこよく弾けはしなかったのだが・・(^^;;
ビルエバンス、ジャック・ルーシェ、ジョージシアリング、ピーターソン、
日本のジャズピアニストとの違いを痛感した時代に、
ヤラさんはどこかアメリカのピアニストだったように思えてならない、
沖縄に越してきて、最初に住んだ那覇の町で
毎日のようにヤラさんの店の前を通っていた、
店のポスターにジャズの文字を見つけて、
「へぇ~沖縄は、ロックだけじゃないんだ~」としばらく
ぼんやり自転車で通り過ぎていたが
ある日やっと「屋良文雄の店」だと気がついて
心臓がバクバクした
たぶん「おれ、馬鹿じゃないのか」とつぶやきながら、
店の入り口付近を不審者のごとくうろうろした、
小生、酒も飲まないし
ライブハウスにお金を使う趣味がない、
タバコの匂いが大嫌いだから、入らないのだ、
結局、店に足を踏み入れることはなかった、、
いや、何度か店のドアの前まで行ったことはある、
そして、中からヤラさんらしきピアノの音を聞いたことはある、
恥ずかしくて、店にはとうとう入れなかった(^^;
ご冥福を、
ヤラさん、ありがとう、
関連記事