2008年11月07日
筑紫哲也さんは沖縄の理解者だった

もっともっと、
聞きたかったな、、
まっすぐ、
恐れず、
真実を報道する、、
彼こそジャーナリストと呼ぶにふさわしい人だった、
沖縄復帰前から特派員として来沖し、多くのメディアがどこか沖縄差別をする中でも、決して他と差別なく沖縄の真実を伝えた方だと思っている、、
沖縄は大きな理解者を失った、
痛快かつ心優しい言葉が聞けないのは、本当にさみしい
ご冥福を、
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筑紫哲也氏が死去 「NEWS23」メーンキャスター
11月7日18時28分配信 産経新聞
ニュースキャスターで元新聞記者の筑紫哲也(ちくし・てつや)氏が7日、肺がんのため、死去した。73歳。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は未定。
平成19年5月、メーンキャスターを務めるTBSの報道番組「筑紫哲也NEWS23」の放送中に、自ら肺がんであることを告白。手術後の番組への復帰を約束し、闘病生活に入っていた。
昭和10年生まれ。早稲田大学を卒業後、朝日新聞社に入社。新聞記者として政治部や本土返還前の沖縄特派員、米国ワシントン特派員などを歴任。同社記者として昭和52年から約5年間、テレビ朝日系の報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者を務め“異色の新聞記者”として話題を集めた。また、朝日新聞が発行していた週刊誌「朝日ジャーナル」で昭和59年から約3年間、編集長を務めた。編集長時代に手掛けた連載企画「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」などでは、さまざまなジャンルの一線で活躍する若者を取り上げ、「新人類」という言葉を生み出した。
平成元年に朝日新聞社を退職。当時、高い視聴率を得ていたテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」に対抗してTBS系で同年から始まった報道番組「NEWS23」のメーンキャスターに抜擢(ばってき)された。
Posted by JaM at 21:18│Comments(0)
│時事
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「論」も愉し・・筑紫哲也さんWEB多事争論より【海遊族JaMの沖縄写真歩き】at 2008年11月08日 00:02
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