2009年08月06日
原爆の日
いずれは消え去る記憶だ、
歴史としての記録は永遠に残るだろうが、
生(なま)の記憶として残るのは実際に体験された方たちだけだ、
いま、世界を見渡せばいたるところで紛争が続いていて
こうした原爆の記憶をきっかけとしなくても、
平和を願う気持ちは誰の心にも一様だと信じたい
広島は、近くて遠い場所だ、
街は数回訪れたが、原爆資料館へは足を運んでいない、
立ち寄る時間も実際なかったが、少しの時間なら行けたはずだ、
行かなかったのは、怖いからだ、
中学生の頃に、長崎の資料館へ行き、絶句した、
原爆の資料はあれでもう懲りた
その後、少なからずトラウマとなった、
あのような地獄は、沖縄県内各所にもあったように思う
県内の資料で振り返ることもできるが、
いっこうに終わらない不発弾処理や、壕に眠る遺骨収集作業など
今も戦争の一部は終わっていない
あるダイビングのポイントには、
いまも旧日本軍の戦車と数発の不発弾が沈んだままだと思うが、
あの弾はもう処理されたんだろうか・・
もうすぐ終戦(敗戦)記念日がくる、
戦争に「負けてよかった」と思える時代に
早くなって欲しいものだ
黙祷・・
歴史としての記録は永遠に残るだろうが、
生(なま)の記憶として残るのは実際に体験された方たちだけだ、
いま、世界を見渡せばいたるところで紛争が続いていて
こうした原爆の記憶をきっかけとしなくても、
平和を願う気持ちは誰の心にも一様だと信じたい
広島は、近くて遠い場所だ、
街は数回訪れたが、原爆資料館へは足を運んでいない、
立ち寄る時間も実際なかったが、少しの時間なら行けたはずだ、
行かなかったのは、怖いからだ、
中学生の頃に、長崎の資料館へ行き、絶句した、
原爆の資料はあれでもう懲りた
その後、少なからずトラウマとなった、
あのような地獄は、沖縄県内各所にもあったように思う
県内の資料で振り返ることもできるが、
いっこうに終わらない不発弾処理や、壕に眠る遺骨収集作業など
今も戦争の一部は終わっていない
あるダイビングのポイントには、
いまも旧日本軍の戦車と数発の不発弾が沈んだままだと思うが、
あの弾はもう処理されたんだろうか・・
もうすぐ終戦(敗戦)記念日がくる、
戦争に「負けてよかった」と思える時代に
早くなって欲しいものだ
黙祷・・
Posted by JaM at 09:33│Comments(0)
│時事
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