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2010年02月14日

写真の教科書

所幸則 写真家
彼をドキュメントした「写真の教科書」を観せてもらった、

多言語動画サイト・POLOS on earthで配信されている「写真芸術の現場」のインタビューだ

最初一度観て、
「こりゃ~安易に感想が書けないなぁ~」、
「話が軽いようで、深いなぁ~」、
「でも、ブログで動画のURLだけでも紹介しておくかなぁ~」、
と思いながら、何度か繰り返し観ているうちに、

こりゃあ
・風景写真と
・スナップ写真と
・ドキュメンタリー写真の
「写真の教科書」だと気付いた


是非、写真に限らず、クリエーターの方々には観ていただきたいなと思う。

特には、やはり「これから作家を目指す想いの強い人」にだろう・・、



所幸則「写真芸術の現場」

*前編

*後編






彼自身の写真への想いが、何を原点に動き始め、どう映像化されていったのか、この動画は「教科書」と呼ぶにふさわしい、

また、映像を言葉に置き換え、「映像そのもの」をしっかり理解してくれるギャラリストとの共同作業の場面などあるが、彼には素晴らしい財産となる仲間がいるなと思いつつ、、登場するそのギャラリストにはプロの心意気を感じた、、ああいうキューレーションはかっこいい(^^)

動画のインタビュー内容は、これまでと、これからの多くの作家たちにとって、かなり製作活動の刺激になるものだろう、
「きっかけ」や「ヒント」満載の、この動画を是非、教科書として繰り返し観てもらいたい。


写真月刊誌「キャパ」にも連載されているので、彼の「1sec」シリーズが、渋谷の風景から世界の都市へ感染し続けることについては、きっと多くの写真ファンが認識していることと思うが、彼が撮り続けているこの都市風景が、本当に「風景写真」に見えてきたファンも多いのではないだろうか、

以前「1sec」シリーズを、小生は「記録よりも記憶に近い」「脳科学的な記憶」などと表現しようとしてきたが、いまはまた少し認識に変化がある

「1sec」は「記憶の記録」であり、それは記憶の主体が、「人」から「風景(街)」へ移ったときに可能になるものだと感じるようになってきた、

彼の表現手法によって、そこに写る「人々」は、すんなりと都市の風景、および都市の時間に同化してしまっている。
彼は「人々」から発せられる強いメッセージ(ファッションなど時代性のようなもの)を「3コマ1秒」によって、すんなりと封じ込めてしまった。

彼はかつての「ファンタジー写真」において、人々の体中から発せられる「陰」「陽」それぞれの力を、作品の存在感として引き出し表現してきたと思うのだが、、
その感性・感覚が、「1sec」においては、人の存在感のコントロール表現として充分に活かされている、

ずっと、ファンタジーと1secの間にある共通点について漠然とした思いがあったのだが、
これでひとつまた(おそらく「光」に対する感性に次いでふたつめでしかないが)、勝手な解釈が加わってしまった(笑


「1sec」は、写真表現の時間の概念も変えてしまったが、
作品が更に拡大し進化する間に、
どうやら、都市をドキュメントする新しい価値を獲得したようにも思う、


もうこうなると、彼は、ドキュメンタリー作家だ、

そう長くはない動画だが、
是非この、「写真の教科書」に目を通してみてはどうだろう

所幸則WEBサイト


タグ :所幸則

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